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iPhoneを持ち歩きFacebookを使いこなしている情報弱者!

2011.05.27

私は現在、ある目的があって学校に通っている。
詳しくは書けないが、語学の学校とだけ言っておこう。

この学校の私のクラスに世にも醜い生き物がいる。
この生き物(♀)は、英語が少し話せたり、海外で生活していたことがあるということだけが唯一の自慢なのだが、どういうわけかそれだけで自分が他者よりも遥かに偉いと思っているらしい。
しかし、実態はとてもお粗末で、日本語の普通名詞と固有名詞がどういうものかさえわからない。
日本人でありながら、日本と日本語を軽視し、常に日本との対比の中で海外を賛美する典型的なバカ女共である。

何故こういう人間がいるところに、私がいるのかは今は触れないでおいていただきたい。(本人も予期していませんでした。)

こいつらは大概、iPhoneを持ち歩いている
毎日飽きもせずにいじくり回しているから嫌でも目に付く。
そしてどうやらFacebookをやっているらしく、その話もよくしている。
多分使いこなしているということなのだろう。
他に話題はと言えば専ら新しいパソコンのスペック等である。
一見情報を駆使しているかのように見える。
しかし、実態は只の情報弱者である。
その証拠につい最近、「韓国人男性はやっぱり背が高くてカッコいいよ」というキチ外としか思えない話をしていたのが耳に入ったからである。
私はすぐその場を離れたのでどういう話だったか詳しくはわからないが大方、朝鮮人芸能人の話だろうと思う。
おわかりいただけただろうか?
朝鮮人にのっとられたマスゴミの捏造による朝鮮人賛美をそのまま鵜呑みにしているのである。

このバカ女共は勘違いしているだけで、単なる情報弱者である。
これを情報弱者と呼ばずして何と呼ぶか?


どんな情報機器を持っていて、情報技術に詳しかろうが、情報の実態がわかっていなければその人間は情報弱者である。
マスメディアが垂れ流す情報の実態を知らずに鵜呑みにしていればそいつは情報弱者である。


例えば80歳で毎日、産経新聞全紙面を読んでいるおじいさんの方がはるかに情報リテラシーが高いと言える。


こういう典型的な情報に惑わされている人間が、少なくとも私の周囲には何人も存在することがわかって、やりきれない気持ちになった。
世の中には、まだまだこういうバカがたくさんいるという事実には絶望するしかない。

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情報弱者にとっての神様、チョンマサヨシ。ちなみにそいつらはいつもユニクロの服を着ている。

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先人の遺志を継ぐということ

2010.12.24

ブログを始めたときに書いたが私の父親は戦後満州から引き揚げてきたために朝鮮人、ロシア人を大変嫌っていた。
朝鮮人が我が物顔でのさばっていたり、ロスケが日本人の女性を公衆の面前でレイプしているところも見たと言っていた。

朝鮮は日本人として一緒に戦ったはずなのに敗戦とともに日本を裏切り、疲弊している日本から色々なものを収奪した「裏切り者であり、盗人であり、殺人者であり、それを隠すために更に人を殺した嘘吐き」である。
ロスケも突然、日ソ中立条約を一方的に破棄して奇襲攻撃をしかけるというとんでもない犯罪を犯した「火事場泥棒国家」であり、憎むのは当然のことだ。


支那人はそれほど嫌いではなかったようだがそれは当然だろう。
父からしてみれば当時の支那(国民党のこと、或いは満州にいた女真族のこと?)は単なる戦争の敵国だったのだから。
父は現在の共産党が支配している支那とは、別物と理解はしていてもどこかに中国大陸への思慕があったのかもしれない。
というのは、父はもう一度中国に行ってみたいと常々行っていた。
特に北京でオリンピックがあることを楽しみにしていて、人生の最後に若き日々を過ごした中国大陸にもう一度行ってみたいと思っていたようだ。
もう既に長時間飛行機に乗れる体ではなくなっていたため、オリンピックは家でテレビをみていたが、正にオリンピックが終わって一ヶ月経たずに息を引き取った。


生前、父は父が昔から特に朝鮮人を憎んでいたために、息子である私まで朝鮮人を激しく憎む人間になってしまったことを気にかけていたようである。

学生時代にコンビニの店員のバイトをしていたときに、コンビニ店舗に雑誌の配達をしていたのが人相の悪い日本語をよく理解しない人間だった。
私にはなぜか朝鮮人と支那人の区別をする嗅覚がある。
そいつは朝鮮人だった。
時間通りにいつも配達しないことで文句を言っていたが、あるときそいつが激しく歯向かってきたことがあった。
身長180センチの私を見下ろすぐらいの体躯の朝鮮人は正直怖かったが、毅然として対応したら朝鮮人は、よくある捨て台詞を言って逃げる形で出て行った。
多分、チョン語で「殺してやるから憶えてろ」とでも言ったのだろう。
その話を自慢気に父に話したら、哀れみの表情を浮かべていたことを憶えている。

身内のことを事細かに語ることになってしまったが、私の兄は所謂情報弱者である。
若い頃から左翼にかぶれていて、本田勝一の本が家に何冊もあった。
この兄が実はどうしようもなくバカだとわかったのは私自身が自虐史観から解き放たれたときである。
その兄が父の生前「(私が)あんな風に(つまり朝鮮人を激しく憎むように)なったのはお父さんのせいだ」と言って父を責めていたのを後に知って、激しい憤りを感じた。
兄の方こそ父の気持ちを理解していないのではないかと思ったから。

今年父の三回忌が終わったので、この先、何年かは兄と会うことはないと思う。
本来であれば、周囲の情報弱者の中でもまず真っ先に目を開かせてやらなければならないのかもしれないが、多分弟である私が何を言っても聞かないだろうから、私の役目とは考えないことにする。
その時代に生きた人間の生の声を無視するような人間はこれからも虚構の世界で生きていけばいい。

自分と家族のことをこんなに詳しく書いたのは初めてである。
今の自分の思想の原点を探ろうと考えたのだがそれがうまく出来たかはわからない。
只、人間は多くは境遇に影響されていくものである。
それを改めて認識することになったように思える。

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我々は先人の遺志を継いでいかなければならない。

長崎がんばれ

2010.08.09

 長崎市の爆心地近くの浦上天主堂では、夜が明けてセミが鳴き始める9日午前5時すぎから約300人が集まり、色とりどりのステンドグラスから差し込む早朝の光の中、平和への祈りをささげた。

 長崎市の片山正行さん(77)は「雲のない空から白い物が落ちてきて、それが原爆だった。全身が焼けただれ、今まで生きているのは奇跡」と振り返る。

 広島の式典に初めて参列した米国代表の姿は、長崎にはない。「謝罪してほしいわけじゃない。被爆地の現実をもっと見て、長崎にも来てほしかった」と語気を強めた。(産経新聞 8月9日)

広島の式典には参列した米国大使や国連事務総長(チンパンジーのパンくん)はどういうわけか長崎の式典には
参列しなかった。これはどういうことだろうか?
広島の式典はもはやキチ外左翼の集会となっている。
一方長崎では3年前に現職の市長が朝鮮人ヤクザに射殺されている。
1990年にも当時の市長が右翼団体幹部に銃撃されている。
長崎では反日勢力に対して毅然とした態度を取れば銃撃されかねないということだろう。
しかし、長崎が広島のように反日左翼の坩堝となっているという話は聞かない。

米国大使やチンパンジーのパンくんも左翼からの参列要請には応じたがまともな長崎の要請には反対の姿勢だったということではないだろうか?


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まず碑文を改めろ

2010.08.05

明日は広島の原爆記念日ですが、日本人にとっては気分の悪いことばかりです。

広島原爆記念公園にある石碑に刻まれた碑文に、『やすらかに眠ってください。あやまちはにどとくりかえしませんから。』というものがあります。

 大変に有名な碑文であり、様々な所で引用されるし、記念公園に立ち寄る人々なら必ず目に止めていると思います。


平和を願い、広島の悲劇を2度と繰り返すまいと考えるのは理解できますが、そのために原爆を投下した加害者ではなく、 被害者の側が 犠牲者に 謝罪する という構図が意味不明であり、大変不快なことです。

ラダ・ビノード・パール判事は、この碑の文章を通訳を通して読んだ後、日本人が日本人に謝っていると判断し「原爆を落としたのは日本人ではない。落としたアメリカ人の手は、まだ清められていない」との主旨の発言をおこなっている。

日本の自虐史観は原爆の被害者を冒涜していることに気がつかないバカがたくさんいるということでしょう。
平和利権に絡んでくる朝鮮人を排除することができなかったのはそういうバカのせいだろう。

自虐史観を改めるにはまずこの碑文を改めろ。
「やすらかに眠ってください。次の戦争では大和魂に賭けて絶対負けませんから」と。

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実在した大虐殺

2010.07.30

諸事情により一週間ほど記事をアップできませんでしたが、7月29日は、「通州事件」の日というのを知り、復帰第一弾はこの記事を書かなければならないという気がしてきました。

盧溝橋事件の約3週間後に起こった、おそるべき虐殺事件についてご存知でしょうか。北京の東にある通州というところで起きたこの「通州事件」は、今ではほとんど語られません。学校の教科書には全く出てきませんし、多くの歴史書や年表にも殆ど載っていません。若い人たちは、事件の名前すら知らない人が殆どでしょう。
 
 この通州事件は、昭和12年(1937)7月29日に起こった、中国人の保安隊による大規模な日本人虐殺事件です。殺されたのは、通州の日本軍守備隊、日本人居留民(多数の朝鮮人も含む)の約260名で、中国兵は、婦女子に至るまで、およそ人間とは思えないような方法で日本人を惨殺したのです。
 
 戦後の東京裁判で、弁護団は通州事件についての外務省の公式声明を証拠として提出しようとしました。しかし、ウェッブ裁判長によって、その申し出は却下されました。この事件にふれてしまうと、日中戦争は日本だけが悪いと言えなくなってしまうという判断があったからでしょう。ただ、通州事件の目撃者による口述書だけは受理されました。あまりに残虐な内容ですが、その一部を引用します。
 
 「守備隊の東門を出ると、数間ごとに居留民男女の死体が横たわっていた。某飲食店では、一家ことごとく首と両手を切断され、婦人は14、5歳以上は全部強姦されていた。旭軒という飲食店に入ると、7、8名の女が全部裸体にされ、強姦射刺殺され、陰部にほうきを押しこんである者、口中に砂を入れてある者、腹部を縦に断ち割ってある者など見るに堪えなかった。
 
 東門の近くの池では、首を電線で縛り、両手を合わせて、それに八番線を通し、一家6名数珠つなぎにして引き回した形跡歴然たる死体が浮かんでおり、池の水は真っ赤になっていた。夜半まで生存者の収容に当たり、『日本人はいないか』と叫んで各戸ごとに調査すると、鼻に牛のごとく針金を通された子供、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦などが、そこそこのちり箱の中やら塀の陰から出てきた」
 
 どうでしょう、これが人間のやることでしょうか。中国の保安隊は、日本人居留民を通州城内に集め、城門を閉じ、逃げられないようにして、一斉に殺戮行為を開始したといいます。決して偶発的な出来事というわけではなく、明らかに事前準備と計画をともなった組織的な行為だったのです。
 
 当然ながら、この虐殺の報は現地の日本軍兵士を激昂させましたし、日本国内にも伝わって、国民の中国に対する怒りは頂点に達しました。
 
 盧溝橋事件は、純粋に軍どうしの衝突であり、それは現地で解決がはかられました。ところが、この通州事件は明らかな国際法違反であり、その殺し方はまさに鬼畜のしわざとも言えるものでした。


お気づきの方もいらっしゃると思いますが、この手口は実際には存在しない“所謂”南京虐殺で言われている手口にそっくりです。支那が実際に起こした通州事件の存在を誤魔化すためにありもしない南京虐殺をでっち上げたと言うことで間違いないでしょう。(呼称も通州“大虐殺”でよいと思いますが)

この前代未聞の大虐殺事件は、教科書等では全く取り上げられていません。
一方、南京に関しては、山川出版社の詳説日本史等で何の根拠もないのに死者40万などと掲載されています。
こんな教科書で授業を受けていれば自分の国を嫌いになるでしょう。
しかし、歴史の捏造は先人に対する冒涜に他ならない。
こうした歴史を風化させてはならない。
当ブログで少しでも多くの方に知らせることが出来れば幸いです。


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