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先人の遺志を継ぐということ

2010.12.24

ブログを始めたときに書いたが私の父親は戦後満州から引き揚げてきたために朝鮮人、ロシア人を大変嫌っていた。
朝鮮人が我が物顔でのさばっていたり、ロスケが日本人の女性を公衆の面前でレイプしているところも見たと言っていた。

朝鮮は日本人として一緒に戦ったはずなのに敗戦とともに日本を裏切り、疲弊している日本から色々なものを収奪した「裏切り者であり、盗人であり、殺人者であり、それを隠すために更に人を殺した嘘吐き」である。
ロスケも突然、日ソ中立条約を一方的に破棄して奇襲攻撃をしかけるというとんでもない犯罪を犯した「火事場泥棒国家」であり、憎むのは当然のことだ。


支那人はそれほど嫌いではなかったようだがそれは当然だろう。
父からしてみれば当時の支那(国民党のこと、或いは満州にいた女真族のこと?)は単なる戦争の敵国だったのだから。
父は現在の共産党が支配している支那とは、別物と理解はしていてもどこかに中国大陸への思慕があったのかもしれない。
というのは、父はもう一度中国に行ってみたいと常々行っていた。
特に北京でオリンピックがあることを楽しみにしていて、人生の最後に若き日々を過ごした中国大陸にもう一度行ってみたいと思っていたようだ。
もう既に長時間飛行機に乗れる体ではなくなっていたため、オリンピックは家でテレビをみていたが、正にオリンピックが終わって一ヶ月経たずに息を引き取った。


生前、父は父が昔から特に朝鮮人を憎んでいたために、息子である私まで朝鮮人を激しく憎む人間になってしまったことを気にかけていたようである。

学生時代にコンビニの店員のバイトをしていたときに、コンビニ店舗に雑誌の配達をしていたのが人相の悪い日本語をよく理解しない人間だった。
私にはなぜか朝鮮人と支那人の区別をする嗅覚がある。
そいつは朝鮮人だった。
時間通りにいつも配達しないことで文句を言っていたが、あるときそいつが激しく歯向かってきたことがあった。
身長180センチの私を見下ろすぐらいの体躯の朝鮮人は正直怖かったが、毅然として対応したら朝鮮人は、よくある捨て台詞を言って逃げる形で出て行った。
多分、チョン語で「殺してやるから憶えてろ」とでも言ったのだろう。
その話を自慢気に父に話したら、哀れみの表情を浮かべていたことを憶えている。

身内のことを事細かに語ることになってしまったが、私の兄は所謂情報弱者である。
若い頃から左翼にかぶれていて、本田勝一の本が家に何冊もあった。
この兄が実はどうしようもなくバカだとわかったのは私自身が自虐史観から解き放たれたときである。
その兄が父の生前「(私が)あんな風に(つまり朝鮮人を激しく憎むように)なったのはお父さんのせいだ」と言って父を責めていたのを後に知って、激しい憤りを感じた。
兄の方こそ父の気持ちを理解していないのではないかと思ったから。

今年父の三回忌が終わったので、この先、何年かは兄と会うことはないと思う。
本来であれば、周囲の情報弱者の中でもまず真っ先に目を開かせてやらなければならないのかもしれないが、多分弟である私が何を言っても聞かないだろうから、私の役目とは考えないことにする。
その時代に生きた人間の生の声を無視するような人間はこれからも虚構の世界で生きていけばいい。

自分と家族のことをこんなに詳しく書いたのは初めてである。
今の自分の思想の原点を探ろうと考えたのだがそれがうまく出来たかはわからない。
只、人間は多くは境遇に影響されていくものである。
それを改めて認識することになったように思える。

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我々は先人の遺志を継いでいかなければならない。
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Comment

magunoria
こんにちは。
今日のお話は私の父を重ね合わせて読ませて頂きました。私の父も先月3回忌を済ませました。
20歳でシナ戦線に行き26歳で終戦です。戦争の詳しい話は殆どしませんでしたが、私は戦友が死んだ話を憶しています。本当に軍歌の「戦友」の歌詞そのものです。私の弟は正しい歴史を学ばず、私が「南京虐殺や慰安婦問題」は無かったと言ったら、激しい口調で威圧してきました。父が亡くなった後の事で、父が生きていたら、さぞかしがっかりしたでしょう。
私は戦死した父の戦友の事を思うと、この日本を守らなくてはならないと思います。
先日、母(86歳)に朝鮮進駐軍の話をして見ました。
すると、怖い顔をして「それは本当にあった話」だと言って居ました。今までその話は母から聞いた事がありませんでした。きっと朝鮮人は怖いので、話はしてはいけないと、日本人の間で話されていたのではないかと思います。
こういう風潮が戦後65年も続いたのではないでしょうか?気がつけば、政治から検察からメディアから宗教から、皆、朝鮮人のしたい放題です。
多くの日本人が早く目覚め、日本人の為の国創りをしなくてはいけないと思います。

2010.12.24 at 16:54 #- URL [Edit]

りっけん3
magunoria さん、いつもコメントありがとうございます。

今回は私が強引にコメントを要求したようなものですけど。(笑)

戦中、戦後の時代を生きた人々の生の声を無視し、後世の人間が勝手な解釈をするということはあってはならないことと思いますが、反日マスコミは平気でそういうことを数え切れないほどしてきました。多くの戦争を実際に知る人々が亡くなっても、正しい歴史が風化することのないように私たちが語り継いでいかなければならないと思います。自分のブログでも少しでもそのことに役立てばいいと思っています。またよろしくお願いします。
2010.12.25 at 13:08 #- URL [Edit]

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